鹿島建設21世紀ビジョン提言論文
身体障害者雇用について
鹿島建設 未来選考入選論文(1987-2)
塩野谷 富彦
私は聴覚障害というハンディ・キャップを持った身体障害者としての立場から問題点をあげ、意見を述べたいと思います。その問題は社会的責任としての大企業の身体障害者に対する取り扱いと大企業に所属する身体障害者自身の組織への貢献に対する組み方であります。現在の当社における、又建設会社における身体障害者の雇用対策や雇用姿勢に決して十分なものとは云えません。こんな状態のままですると、雇用面から見た場合、当社は21世紀エクセレント・カンパニーといってもそれは表向きだけになってしまう。それをどの様に改めたらいいかというと、身体障害者雇用の差別をなくし、普通の社員と同じレベルでいれば、コミュニケーションも良くなり、連帯感も増すし、何よりも身体障害者の中に気がね(負い目)がなくなる。又、ミーティングや会議に参加したり、上の人との交流も良くなる。そのコミュニケーションの方法は社内に手話通訳者がいて、手話通訳してもらう事も出来ます。(米国大企業は殆どやっています。)身体障害者がグループに入って積極的に健常者と交流しようとしてもいつのまにか周囲の人から差別の感覚でみられて孤立してしまう時がある。その差別をなくせば、同じレベルの社員として周囲の人は身体障害者の事を自然に理解出来る様になってお互いにコミュニケーションが活発化し、身体障害者自身の中にもやる気がおこり、自分のハンディ・キャップをエネルギーに昇華する様になり、身体障害者にしか出せないような能力も十分に発揮出来る様になる。これは結果的に企業から見てもプラスになるのです。だから身体障害者たちも身体障害者雇用扱いと考えないで健常者と同じ様な社会で参加したいと思います。人事も身体障害者雇用という特別枠で考えず、能力を採用するという考えで健常者にないものを見つけ出して欲しいと思います。(精密大企業、保険会社等は進んでいます。) 一番云いたい事は身体障害者だから”能力がない”と思わないで企業に貢献する点では同じ人間として考えて欲しい事です。聴覚障害者は心神耗弱者、及び浪費者と同じ人間と思われている人が多いにちがいない。それは間違いである。(4年位前迄は民法11条では聴覚障害者は禁治産者(精神耗弱者)であったが、今は修正されている。日本の古い社会の閉鎖性をよく表している。)
ここでハンディ・キャッブを一般社会の中でエネルギーに昇華した聴覚障害者の事例を紹介します。私の友人で彼は大手建設会社に勤めていましたが、雇用的に恵まれず、彼は准社員でただトーレスするだけで自分で積極的に努力しましたが、上の人と相談してもなかなか理解してくれず、准社員のままで強く押し切られたので3年位で辞めました。その后、米国へ移籍し、2年間英語を勉強して、米国の大手建設会社に入社し、健常者と同じ様にいろいろなところで活動する場を与えられ、現在、チーフデザイナーとして活動しています。又、もう1人の友人も自分のハンディ・キャッブをエネルギーに昇華することを実践していたが、日本の社会面では余りにもかたすぎたため、受けいれられず、米国のアトランタ市に移籍し、市内での有名なグラフィック・デザイナーとして働いています。米国の場合、国民の外向性性格もあってそれぞれの人間の中に眠っている特殊な能力を個人のハンディ・キャッブに関係なく、発揮しやすい環境になっています。そういう意味では私は米国をエクセレント・カントリーと考えます。日本の社会の場合は内向性性格であり、特殊な能力があってもなかなか現れず、眠ったままで周りがきめたことに対する努力しか考えていないし、企業には個人ではなく、団体的な行動を重視するあまり、自分たちと同類の仲間意識が強く、それを私達もわかっているので、ハンディキャッパーの社会に対する遠慮も考えられます。ですから21世紀エクセレント・カンパニーとしての希望は、もっと個人の能力を大切に、ハンディ・キャッブとかそういうのをこえたところで個々の能力を企業の発展に結び付ける努力をする必要があります。そうなれば、会社の中に個人の個性がもっと反映され、モラールが上がり、生産性向上し、職場が活性化してエクセレント・カンパニーとしてのふさわしい企業になる。又コミュニケーションも良くなり、連帯感も増すし、我々も気がね(負い目)がなく、仕事が出来る様になり、私達のもつハンデイ・キャッブも何らのエネルギーに昇華していくのではないか。 今日の経済社会は「高度情報化社会」「ハイテク時代」「経済のソフト化・国際化」「高齢化」等、大きな転換期を迎えているが、このうような「高度平等化社会」も迎えなければ、私達ハンディ・キャッパーにとってエクセレント・カンパニーに所属している気にはならないと思います。
次に、我々身体障害者側の方から企業に対して出来ることに目をあててみます。たとえば、殆どの聴覚障害者は桁はずれの集中力を持っており、視察力や洞察力も健常者の人の目より数段優れています。それは聴力の不備で他の感覚器官で補おうとするために発達するのです。この部分を逆に生かそうというのです。聴覚障害者の中でも能力があるのに文章力が弱い人が多いが、それは教育・環境問題の中でそうなっているだけです。しかし、集中力が優れているので、例えば、写真とか芸術とか彫刻、デザイン、プログラマー等の音に関係のない仕事なら何でも出来ます。写真の場合は撮る時、廻りからの雑音が入らないため、すごいアングルを発見することが出来る。又、他・芸術の場合も同様である。
私自身の場合はその集中力を企業の中で建築のわかるプログラマーとして発揮しています。プログラミング等のソフトフェアを作る仕事は長期間にわたって強い集中力を要求されます。私は仕事中、雑音が全く無いので、集中力を持続的に発揮でき、プログラミングの生産性からみたらだれでも負けない自信があります。又、プログラムの中でデザインする時も視察力があって楽しいソフトフェアも作れます。これからの高度情報化社会の転換期を迎えていると共にいろいろな開発ソフトも作れる様にしたいと思っています。
このような使い方は企業にとってむしろ健常者を使うよりもメリットがあり、又、私達も自分達の存在感を実感できて、ハンディ・キャッブされ、廻りの人から雇用的に恵まれ、企業に貢献する様になります。だから、エクセレント・カンパニーとは雇用面から見ても社会保障が行きわたって身体的、機械的ハンディにかかわりなく、皆が平等な扱いを受けて身体障害者にとっても働きやすく、又、成果の出せる場が与えられる様になって欲しいと思います。
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更新:2006/08/21
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