TC研の歴史

(1)TC研の源流と創設

 「トータルコミュニケーション」という言葉が日本に上陸したのは、1975年、東京で開催された聴覚障害教育国際会議の際です。TCは1967年、米国カリフォルニア州サンタアナ学区の聴覚障害教育を担当したロイ・ホルコムによって提唱され、デントン校長のメリーランドろう学校で採用され、以後急速に全米に広がり、州立ろう学校の大半を席巻しました。
 日本でも1968年、栃木県立ろう学校で、田上隆司らによって「同時法」が採用され、これが日本におけるTCの嚆矢となったのです。
 日米のTCは、口話主義の矛盾に対する対応策の一つであり、これまで口話主義が排除してきた「手話」の復権によって聴覚障害児のコミュニケーションと言語指導を改善しようとしたところに共通性があります。 
 1875年の聴覚障害教育国際会議で啓発された聴覚障害者の伊藤政雄(当時、筑波大学附属聾学校教官)、岩淵紀雄(現在、株式会社ワールドパイオニア代表)や一部のろう学校教師たちは、「海外聴覚障害教育研究会」を結成、米国などの視察や『海聴研通信』の発行など、精力的な活動を展開しました。そして、海聴研と栃木ろう学校の田上隆司らが共同して、1978年、東京・野口記念館で318名の大結集をえて、第1回トータルコミュニケーション研究大会を開催したのです。
 したがって、栃木同時法と米国TC−−この二つがTC研の源流である、と言えます。

(2)TC研の活動スタイルの確立

 1984年、会長が田上隆司から伊藤政雄に代わり、事務局も栃木から東京にうつりました。それと共に、TC研の組織と活動も大幅に刷新されました。親子キャンプ、会報の発行、会員の拡大が年々着実に進展しました。そして研究大会もそれまでの「栃木同時法の伝達の場」から聴覚障害、親、教師らの「多様な問題意識の交流の場」へと変化しました。
 こうして、1980年代後半にTC研の今日のような活動スタイルが確立しました。
 1985年、田上隆司編著『聴覚障害のためのトータルコミュニケーション』(日本放送出版協会)が刊行されましたが、これは、TC研のそれまでの研究の集大成であり、同時に、それ以後のTC理念の分化発展の出発点でした。
 1986年にはTC研訪米ツァーが米国カリフォルニア州を視察し、「デフパワーとしてのTC」を吸収してきました。

(3)ろう教育の明日を考える連絡協議会の結成

 1989年大阪で「ろう教育の明日を考える連絡協議会」(「明日を考える会」)結成大会が開催されました。これはTC研・伊藤政雄会長と全日本ろうあ連盟・高田英一理事長の呼び掛けに応えて、TC研、全日本ろうあ連盟、神奈川県聴覚障害者親の会、近畿地区聴覚障害教職員懇談会、滋賀県教職員組合滋賀聾話学校分会など8団体が結成したものです。 「明日を考える会」は1989年夏の大阪を皮切りに、1997年の福岡へと、毎夏「ろう教育を考える全国討論集会」を積み重ね、参加者数も1000名を越える大きな研究会へと発展しています。今年は7/25〜26の両日、愛知で第10回討論集会が開催される予定です。
 「明日を考える会」は現在17団体、賛助会員数約500名となっています。
 TC研は、この「明日を考える会」結成の原動力となっただけでなく、伊藤政雄会長が副代表世話人につき、矢沢が事務局長を担うなど、組織的にも縁の下の力持ちとなって支えています。
 ■ろう教育の明日を考える連絡協議会
    〒162新宿区山吹町130 SKビル8F・
   全日本ろうあ連盟気付 TEL 03-3268,FAX 03-3264-3445

(4)文部省報告とバイリンガル主義を受けて

 1993年、文部省は「聴覚障害児のコミュニケーションに関する調査研究協力者会議報告」を公表し、ろう教育における手話の必要性を一定程度(つまり、日本語中心の言語指導に役立つ限りで)認めました。
 他方では、アメリカの一部のろう学校や北欧諸国で1980年代に始まった「バイリンガル主義教育」の理念が日本にも伝わってきて、TCの理念は発展を迫られました。
 こうした状況の中で、TC研の内部には「文部省報告によって、すでにTC研の任務は終わった」とする意見もありましたが、討議を積み重ねた結果、「日本語と異なる手話言語の意義を真正面から受止めるべきだ」「ろう教育の二言語指導への改革のためにTC研の役割は一層重要になった」という方向でTC研の役割を再確認しました。

icon.gif (1331 バイト)トップページへ